空っぽの独り言

好きな時に好きな事を綴る、ただそれだけ。

悪くないね

金はあるよ、って人にたくさん会ってきた。

友達たくさんいるよ、って人もたくさん見てきた。

楽しいって言う人、ひけらかす人もたくさんいる。

 

でも、幸せだよ、って口に出して言う人にほとんど会ったことがなくて、なんだか不思議な気持ちになった。多分、こんな世界を作って生きてる人間が人生で求めているものって、幸福なんだと思う。幸か不幸かで、この世の大半の問題は片付くから。友達を裏切るのも、愛し愛されたいと思うのも、誰かを殺すのも、困っている人を助けたいと思うのも、全部誰かの幸せ、あるいは誰かの不幸せを願ってのもの。

幸せ、不幸せっていう感情に代わる感情を私たちは持ち合わせているのだろうか?

全ての感情はここから派生したんじゃないかとさえ思える。どの感情もその二つのどちらかに分類できる。

幸せって感情ほど曖昧で不安定なものはない。人によって幸せは違うし、何をするからって必ず感じられるものではない。たとえ同じことをして幸せだった過去があっても今は違う、なんて日常茶飯事。

 

死んでしまいたいって思う時は胸の中をぐるぐる不幸せが渦巻いていて、その渦に呑まれてしまったらそのまま、この世から居なくなれる、そんな気がする。

でも不思議と、最近幸せだなあって思っている時って、死について考えることが難しくなる。心の中に花が咲いているような、温かさを感じる。

 

要するに生は幸、死は不幸、と深い関わりがあるんじゃないかと。

人間が生きるためには幸せである必要があって、でもそれは簡単ではなくて寧ろ不幸になる方が簡単だったりする。

 

自殺とか否定する人がほとんどだけど、不幸に呑まれたから死んだんじゃないかと思う。タイミングの問題じゃないかな。幸せに結びつくようなことが長いことなくて、ちょっとした好奇心で渦に呑まれてみたんじゃないかな。誰にだって起こりうることだし、多分それは本人にも避けようがないことなんだと思う。

 

人生は不幸なものになりがちで、終わらせたいとすぐ考えてしまうけれど、それをなんとか継続させていくものが幸で、出口に繋がっているのは不幸だと考えたら、不幸せなのが普通なんだよ。みんな幸せそうに見えて幸せじゃないんだよ。足りないものがあって、欲しいものが手に入らなくて。だから私は幸せだって胸張って言う人が少ないんでしょう?

 

そう言う人もしばらくしたら幸せじゃなくなるわけで、そう考えると面白い。次に私が幸せって言えるのはいつなんだろう。いつ出口に向かっていくんだろう。

 

 

幸せにならなくてもいいとも思う、ただ、本能的に幸せを求めてしまう。私は、人間なんだよなあ。

Dance with...

いつの時代も同じなんだろうな。

 

人は失敗から学ぶべき一番重要なことは学べずに、失敗を繰り返して。それどころか過去に比べて失敗の大きさ、凄惨さは増していく。

 

私を取り巻く世界が、社会が嫌いだ。ちゃんと考えろって言うのに判断材料は与えてくれない。むしろ与えられるのは逆のものばかり。くだらないことばかり。

だったら与えらえるのを待たずに自分で探せって言われると思うけど、そうじゃないんだよ。

 

意識して知ろうとしないと知ることができないって、おかしいでしょう。私の生きる社会のことなのに、どうして教えてくれないんだ。私たちが与えられなければ考えないと言うことを、きっとよーくご存知なんでしょう。その通り、みんながみんな人任せになっていて、そのことをよく分かっている人たちに私たちはうまく利用されていて、それがとても不愉快だ。どこの国も一緒だし、いつの時代も大概の人は時代の流れに流されて踊らされてきたんだろう。実情を知って操っているほんのわずかな人々の駒にされている訳だ。

 

きっとこれからも私はプレイヤーではなく駒の一つとして死んでゆくんだろうし、それでいいんだけど、私が請け負っている責任、義務は果たしたい。それが全く役に立たないとしても、それでも自分が責任を果たしたという事実だけで満足できる。

 

どうせ何も変わらないなら、私は国民の義務を私の心を満たす道具として使ってやる。使わなくてざまあみろって言われるのが一番腹が立つから。

私は私なりに流れに乗って踊ってみせよう。

 

失敗するかも、と言うか失敗するんだろうな。でもはなから成功する未来なんて見えちゃいないし、誰にとっての成功が本当の成功なのかなんて決められない。そもそも成功したら何かが終わる気がする。何か、大きなものが。

 

次はどんな失敗をするんだろうな。見たことがないようなものなのかな。

ちょっとワクワクしちゃう、私はちょっとおかしい。

 

理想のはなし

理想の家、

小さなアパートで、ちょっと古びた家具に囲まれて暮らす。

焦げ付いたヤカンとか安っぽいカーテンとか軋むベッドとか。

テレビは要らない。ラジオは欲しい。映像は煩わしいけど、音声は心地いいから。

 

休日、

春は花瓶に何本か花を挿して、お菓子を作る。

夏は扇風機をまわしてアイスを食べる。

秋は音楽を聴きながら本を読む。

冬はこたつを出して、編み物をしたい。

 

朝はコーヒーを淹れて、ベーグルとヨーグルトを食べる。

お昼ご飯は作らない。人が作ったご飯も食べたくなるし。

夜は夕飯と、少しのお酒を。夜風と一緒に。

 

ほどほどに忙しくて、仕事はまあまあ好きで、友達も多くなくても良い人達に囲まれていれば良い。

 

これ以上の贅沢があるかなあ。最高だなあ。

 

好きな人達と、身の丈に合う調度品と一緒に暮らせたら。それが私の求める幸せ。

Fulfilled

今、すごく幸せな状態に近い。

 

昨日のことをいつまでも引きずらないで、毎日一生懸命生きていられてるって感じる。

 

友達は多くもないし少なくもない。

 

大事な人達は私を忘れないでいてくれているし、新たに大事な人達にも出会った。

 

自分がやりたいこともできてる。

 

全てが満たされている状態に、今までで一番近づいてる。すごく、いい。

有ることが難しい

普通っていう言葉が嫌いだ。


普通って誰が決めたのだろうか。あなたの普通は誰かの異常で、あなたの異常は誰かの普通なのに。

そんなの普通じゃないよ、変わってるねって言われる事も多いけど、私にとってはこれが普通で、一番いい形。


私には私のペースがある。それなのに、それじゃ遅いよ、こっちの速さに合わせて歩きなよって無理やり腕を掴まれたような感じがする。


その手を振り払うだけの強さがないから、引かれるまま駆け足でついて行くけど、結局離れた瞬間、遠くに置いていかれる。


でも逆にその方が良い。

なぜって、私の歩く速度、歩幅に合う人もいるから。無理に合わせてるんじゃなくて、自然と隣を歩いているような。そういう人は少ないけど、少ないからこそ大切にしようって思える。


この世に生きる人の99.9%にとって、私の普通は普通じゃないのかもしれない。でも0.1%の、同じ"普通"を持つ人がそばにいるということは、私を私として保つのに充分な力であって。有難いなぁと思う、今日この頃なのです。


Dear.全ての人に

あっという間に残り2日。切った。

振り返れば色々なことがあった。個人規模でも世界規模でも、悲しいこと、楽しいこと、驚くこと、切ないこと。その度いろいろな感情が湧いた。

心も体も忙しい一年だったなあ、いそがしいというか、せわしないというか。漢字は同じだから大して変わらないか。でも新しいことだらけで新鮮な一年だった。新しいことに挑戦するのは好きだから、すごく楽しかった。

来年のことは考えられないし今考えても何の役にも立たないけど、せめて50:50くらいの割合で笑って過ごせたらいいなあと思う。

まあ正直期待より不安の方が大きいけど、応援してくれる人たちも、支えてくれる人たちもいるから、彼らの期待を裏切らないように頑張って生きることにしよう。

それから、私の周りの人たちが素敵な一年を過ごせるように。私にできることはなるべくしてあげたいです。

一年の締めとしてはグダグダなんだけれども、こんな感じで、今年はおしまいです。今年も幸せな一年をありがとう。どうか来年もそう言えるように、変わらずよろしくお願いします。

惑星のように

沢山の人に囲まれて生きたいなんて思わない。

私がいて良かった、会えて良かったって言ってくれる人が片手に余る程度いればそれで幸せ。今は。

 

幸せって何なのってずっと考えてたし、その定義は自分の中でころころ変わるけど、今、私が考える幸せと、今の私を囲む環境は見事に一致してる。それってきっとそうある事じゃない。

理想と現実が重なったその一瞬だけ、人は幸せになれるんだと思う。

 

いつか家で見た皆既日食を思い出す。

あれは幸せを表してるんじゃないだろうか。何年も何年も同じ所をぐるぐる回って、なんでこんなことしてるんだろうって思った頃にふと、いつもと同じ、でもいつもと全く違う世界が見える。

でもそれは決して長くは続かない。始まりと同時に終わりが見える。だからこそ、その儚さに惹かれて、いつも通りに戻った世界で私たちは狂ったように幸せを探してしまう。見つけることはできないのに。

ただじっと待ち続けることしかできないなんて。辛い。でもそれで、良い。

 

やっと訪れた人生の貴重な一瞬。大事にしたい。

いつ終わるか分からないから。次はいつなのかも、分からないから。